当神社は城主飛塚氏の氏神であったのを、寛文11年に本村を脱したことによって、その後一村の鎮守として崇敬したとの言い伝えがある。
例年旧暦3月15日を以って祭祀をして来たのを明治43年より毎年4月15日を以って祭日と定めている。
明治43年5月31日秋田県知事の許可をえて相繕社合併した。