前へ | 熊野神社 くまのじんじゃ 通称:くまのみや |
社記によれば、大同2年坂上田村麻呂東征の時国家鎮護の為建立した奥羽28社の一つである。
文治3年武蔵坊弁慶が再建した。 建久3年鎌倉右大将源頼朝が宣家を使士としてこの六郷につかわし、義経と弁慶慰霊の為社内に三十二神を配祀した。 二階堂帯刀が当国に下向以来崇敬篤く、代々造営修復し、その裔六郷佐渡守より米2石2斗、銭100貫の寄進があった。 慶長7年佐竹義宣が当国に遷封した後、社領本田高30石、六郷高野村、六郷本館村、六郷川内池村3村を下掠とし領内崇敬社12社とされた。 代々崇敬篤く、旧藩主より直筆の神号額等の奉納が多い。 江戸往来の際には料金200疋、名代の場合は100疋の奉納を例としていた。 明治6年廃藩置県に際し、村社に列し、氏子を付属された。 万治2年及び明治19年の大火災で、印章、古記録が焼失した。 現拝殿幣殿は昭和27年に改築された。 |
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