前へ | 神明社 しんめいしゃ |
大正2年9月7日字北飯詰神明社、字北飯詰稲荷神社、字南中島久壽師神社・字南谷地眞山神社の4社を合併して村社となり神明社と改称したものである。
この4社は秋田叢書第10巻中、飯詰邑の部に享保郡邑記を引用して書いたのを抜萃すると次の通りだから、享保年間以前から祀られた事は明かである。 『神明宮(神明社)一郷の鎮守で野守館の旧跡にあり、野守稲生明神(稲荷神社)野守館の右迹に座り、斎主久米又左衛門、久米氏上祖よりの斎社也、一氏一家の鎮守也。(久米氏上祖は慶長の始也) |
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