阿倍比羅夫が戦勝を祈願し聚落の平和を祈念して祠を建てたという由緒があるが審かではない。
又、阿倍比羅夫が蝦夷討伐の際このあたりに上陸し、その時船をつないだという大木があり、これを親木と呼んでいた。
この木は、大正の頃にはまだ存在していたが、その後立枯れ、大風によって倒伏したため、今はその跡のみ残している。