この神社は、以前現在の堂廻の地に鎮座していたと言われるが、後代に至り森岳の総鎮守として現在地に遷宮されたと伝えられている。
現在地移転後は数度の火災に遭い社宝、伝記等総て鳥有に帰し、その由緒を知る手がかりは一切焼失している。
明治40年1月10日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。