前へ | 稲荷神社 いなりじんじゃ |
当社は後花園天皇嘉吉壬戌4月山城国伏見より勧請し、放生島に一小祠を建てて祀ったのを創始とする。
その後文明10年戊戍2月初午の時、氏子信徒30余人集って、改築を計画し、領主小笠原宗義へ上願し土木を起して改築する。 播磨の浪人宝性を以て別当とし、宛米30俵を給せらる。 宝暦11年大坂の船持和泉屋市兵ヱが花崗石の鳥居奉納。 文化元年11月象潟大地震の時本社は無事であったが、この鳥居は崩壊してしまう。 後木造鳥居を建立してあったが、近年石鳥居に建て替えた。 金浦の石工石吉の手に成ったものである。 社家は例祭に湯立の神事を行う。 例祭は当時3月10日であったのを、現今は3月末の日曜日としている。 |
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