前へ | 稲荷神社 いなりじんじゃ |
渡辺隼人守が伊勢居地栗山館に居を構え、暫しこの地方を統治していたが、貞治2年5月、討死してから、大江千里の末裔小笠原大和守が守州より家臣土門・菊地・布施・小松たちを供奉した時、稲荷大明神を鎮座する。
翌応仁2年3月15日、小国山上に居城し、仁賀保1万900石を領す。(由利十二頭の始めである) その後慶長7年、常陸国に御国替の砌、稲荷大明神を畠三郎右衛門に下され、以後稲荷大明神は鎮守神として、字根ノ北地内を卜(ぼく)として祀られ今日に至っている。 その頃越後国より、上杉謙信の臣で勘定役の勘左衛門、庄屋庄左衛門たちが居住し、五郎右衛門が弥陀仏を信仰され、地内に安置した。 又その東に御神馬の井戸、西に鈴尻の井戸があり、生駒藩の祈願所として生駒氏の源氏車を社紋とす。 明治元年9月村社に列せられる。 明治41年畑村無格社神明社、同42年に寺田無格社神明社・大山祇神社、又大正4年に伊勢居地字沢内村社神明社を合併す。 大正10年5月本殿及び幣殿を新築している。 |
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