前へ | 熊野神社 くまのじんじゃ |
熊野神社は、後鳥羽天皇文治2年紀伊国飢饉にして僧俗の衝突の折柄、牟婁郡熊野三山の別当教眞坊妾腹の孫に当る大円坊、熊野山の分霊を奉じ海路芳渟の浦に着きそれより敦賀に出て便舩により、この地象潟に着し、神明の杜に小祠を建て、奉祀したのを創始とする。
爾来星移り物替り、時々の変遷はあったが、最明寺時頼の時四霊地の一に加えられる。 寛永18年六郷兵庫頭政乗の領有となるに至って、祝融の災あり。 万治2年己亥年再建の砌、六郷家の祖郷なる仙北郡六郷に於て、崇敬篤い鎮守熊野神社の由緒に鑑み、大いに宮殿造営の土木を起し本社に熊野神社を相殿に祀る。 戊辰の役に、官軍秋田藩佐竹家決死隊は、三崎口出陣の砌、熊野神社に武運の長久を祈願し、記名の上に髪を結い付け3尺の大額となして奉納する。 慶応4戊辰年潤4月、隊長荒川久太郎秀種以下81名敬白。 又奥羽鎮撫の為下向せし、当時の副総督沢三位為星卿も奉幣せらる。 明治6年郷社に列せられ同40年神饌幣帛料供進指定社となる。 昭和22年11月15日浮浪者の弄火により本殿拝殿宝物悉く鳥有に帰す。 氏子は大東亜戦の戦傷未だ癒えざる中に浄財労力惜げなく捧げ本殿拝殿社務所共に竣工し、昭和24年5月2日賑々しく遷座祭を挙行す。 |
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