前へ | 稲荷神社 いなりじんじゃ 通称:田子稲荷神社 |
往古この地は皆海浜であって、多くの蝦夷首長の割據していた所であるという。
延暦年間、田村麻呂将軍この近傍の諸賊を追討した時、既に当社は建立されていたという。 諸賊亡んだ後、当村袴田家の先祖儀平という者が、男鹿鵜ノ木村より船で該地に来て田畑を開墾し、五穀豊穣のため祈願として当社を修復し、爾来今に至るまで永く当社を産土の神として崇拝して来た。 文化7年中、山城国伏見稲荷大社より正一位稲荷大神の神号を下付されている。 大正9年10月無格社龍神社を合併した。 |
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