前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
斉明天皇4年、越の国国司、阿倍比羅夫が蝦夷征伐の時、蝦夷降伏(エゾムケ)の八幡と号して海岸中嶋に鎮斎し延暦年間、坂上田村麻呂が東夷征討の時、御旗を納めて戦功を報賽すと伝えられている。
弘治年間、米代川の変化で中嶋が欠流につき愛宕山に遷座し、慶長年間、磐若野に移り元禄9年現在地に鎮座す。 旧藩主佐竹累代の社参造営して藩内崇敬の一社と成した。 昭和31年能代大火の際、社殿類焼したが翌年9月に再建す。 (宝物)佐竹義和公の「忠信渉波濤献額」の原本 宝暦12年に庄屋三嶋嘉右衛門公豊から奉納された「能代浜鰯漁絵図」(昭和49年能代市指定文化財) |
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