前へ | 脇廼沢稲荷神社 わきのさわいなりじんじゃ |
慶長年間、秋田城之助実季の城代大高伝右衛門が桧山に居りこの地方を治めていた頃から、赤沼稲荷神社、大森稲荷神社と共に能代地方の三大稲荷として鎮座されたと伝えられている。
脇廼沢稲荷神社は幾多の変遷を経ながら、享和の頃大内田村松兵衛より分家になった松之助が特に崇敬を捧げ、5代宇吉郎が社殿を建立した外、能代港町の芦田・今野・桜井・相沢等諸家の篤志によって維持運営がなされてきた。 現在、境内地は相沢卯右衛門、大山一郎外7名の連名(9名)となっているが、今般、9名より神社に寄進し、信仰対象としての神社運営を図ることとなった。 |
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