日積寺はその後、この地方の豪族安倍、安東、秋田氏や平泉の藤原氏によって寺領の寄進や堂宇の再興が行われるなど、中世を通じて栄えていた。
慶長7年佐竹氏の秋田入部後も篤い保護を受けていたが、明治初年の神仏分離令により赤神神社として創立された。