その以前は知る由もないが、当社の社殿は、その材を難破船の寄木にて造営されたものと語り伝えている。
明治6年8月村社に列せらる。
明治42年12月地域の火災により社殿も焼失したがその後新築す。
明治44年誉田別命外四柱を合祀する。