前へ | 大日神社 だいにちじんじゃ 通称:大日堂 |
古伝承によれば、南部ダンブリ長者娘吉祥姫が第26代継体天皇の側女として侍し、長者夫婦の没後、鹿角市の小豆沢・長牛、比内の独鈷に大日堂建立の勅許を受け、継体天皇17年に建立される。
吉祥姫の母(徳子)は独鈷に生まれ、長者伝説の神託を授かる人である。 神亀2年、行基が訪れ桂木を以って大日堂三社に仏像を彫刻、御本尊となし、9間四面の堂宇に改築、堂宇大破修理は国司により行うとして、12年毎の丑年には比内郡の村々によって屋根を葺き替え、式年祭を行うことに定められた。 長禄4年(1460年)禁裡支配取立役、藤原信継再建、大永6年比内独鈷城主浅利与市則頼公が5間四面の堂宇に改築、江戸時代寛永年間より大館城主佐竹公の祈願所となり、寛文12年に十二所城代塩谷民部小輔藤原朝臣重綱が現堂宇を再建する。 大正14年に唯一神明造の神殿を増築、昭和33年に幣殿を増築して現在に至っている。 当社は江戸時代まで大日堂と称して神仏混淆の形態をとり、明治に至って村社神明社に、昭和27年神明社となったが氏子崇敬者等の強い要望により、平成元年に社名を大日神社と改め御神徳の益々の高揚を祈ることとした。 神社所蔵文化財(市指定文化財) 独鈷囃子(無形民俗文化財) |
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