度々の再建を経て明治年代で約160年の年暦を数え現在に至る。
大正4年6月近在の八幡神社・三吉神社を合祀する。
当神社は北部を流れる玉川より取水する灌漑水路の発生の地に当り、以降の水路延長上の各地の住民の寄り処であった。