前へ | 菅原神社 すがわらじんじゃ 通称:天神さん・柏天神・諏訪天神 |
戦国時代最中の天文元年、当時領主だった小野寺義忠の所へ筑紫諏訪ノ庄安楽寺の住僧快旭律師が、同寺退院後の旅の途中に暫く滞在した。快旭を深く尊崇した義忠は領内大戸村に諏訪山安楽寺を開基し、さらに同僧により尊崇の念を篤くした菅原道真公を勧請せんと計り、天文3年3月25日に原孤山(柏山)の嶺の一所を卜占によって定め、そこに一社を建立した。
その故を以って地名から柏天神、諏訪山安楽寺の僧快旭にちなんで諏訪天神とも称する。 産土である大戸地区は、古くからの穀倉地帯で寛政6年の記録には約842石、文化12年には752石収穫のある豊かな地域であり、元禄の頃の記録には煙草も作られていたとある。 このような農家の人等の五穀豊穣の願いと、学問神として商人も含めた近郷近在の人々の願いとが融合し、以前には祭典日というと夜店も立ち並び、参拝の人が絶えなかった。 現在でも最盛時には及ばないまでも書道上達を祈って祭典時に50枚以上の書の奉納がある。 なお現在の社殿は、明治28年に小さな社殿を再建したが、明治38年7月7日日露戦争勝利を祝してさらに立派な社殿に建て直したものである。 |
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