前へ | 御嶽神社 みたけじんじゃ |
創立は大同2年第51代平城天皇の御代、時の征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折、その要所々々に武神を祀りて賊軍平定の祈願をなして来たが、当社鎮座地も頗る展望のよい緊要の地であったので、武神須佐男命を奉斎し、賊徒、阿黒王を退治その地を平定したという。
その後、地区民の信仰篤く祭祀がなされて来たが、明治以前に一度火災に合い小さな祠を建てて祀られて来た。 明治初年に至り現在の場所に再建され、同5年社格改正に依り村社に列し、同43年6月17日一郷一社の令により無格社である9社が新たに合祀され、昭和19年8月9日神饌幣帛料供進神社に指定され今日に至る。 山頂の神社に至る参道は130数段に及ぶ石段で、その両側には樹令300年以上の杉木立が並んでいたが、終戦と共に占領軍の圧迫により切り倒された事は、思えば実に惜しくもあり痛恨の極みである。 |
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