前へ | 稲荷神社 いなりじんじゃ |
出羽の国開けて以来鎮座した古祠で、当社縁起書によると、延長7年に創立した。
その後領主小野寺氏と秋田藩主佐竹候から霊験殊更あらたかなため、数々の斎料と神器を奉納された。 明治6年村社に列格した。 昭和13年10月4日公費を以て神饌幣帛料を供進し得る神社に県より指定された。 古来武将を始め各地方民の崇敬篤い神社であって、当村民の耕作田地の水源に縁故がある。 その由来は、平鹿町浅舞鍋倉に犬子清水と称する霊水があり、その所より白狐が現われ幣束を口にして現在の清水町新田迄に至りこの古祠に於いてその形影を見失なったという。 この事を里人達奇異なることとしてその白狐の通った道筋通り開拓した田地は教十町歩余りあるため清水町新田と称した。 この開拓の成就は鎮守の神なる稲倉魂命の神恩による事と崇め篤く信仰して現在の社を建立したのである。 その後村内に凶変ある時は必ず白い老狐が現われ哭き吠え、里人にその兆候を表わしたと伝えられている。 |
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