前へ | 金澤八幡宮 かねざわはちまんぐう |
源義家は、後三年の役に於て清原家衡、武衡等に打勝つことの出来たのは、これ偏えに常日頃崇敬する「八幡大神」の加護によるものと信じ、寛治7年藤原清衡に命じて、金沢柵址に神殿を建立し、石清水八幡宮の神霊を勧請して出羽国の鎮護神として祀った。
慶長7年佐竹義宣が秋田に移封されたが、金沢八幡宮の荒廃を見て慶長九年別当土肥胤信に命じ、神殿の改築を行わせ社領35石を付して祭祀料に供せられた。 以来11回にも及び修造等をなされた。 佐竹氏の深く崇敬された証は、神殿に伝わる勅宣の棟礼がこれを物語っている。 別当土肥氏は慶長以前より、八幡宮の神職であったと考えられるが史実が審らかでない。 延宝の頃、別当土肥安芸は、藩主佐竹義処の怒りに触れて追放に処せられた時、社宝のほとんどが紛失した事は八幡宮の一大災厄である。 |
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