前へ | 金峰神社 きんぽうじんじゃ |
延暦年中、田村麻呂将軍東征平定の後、大和国葛城金峰山を勧請すという。
永承4年蔵三蔵を収め大いに繁栄していたが、古来の神器は兵火によって焼失し、今に伝わっていない。 世の中の浮沈数十年、霊場も廃れていたが、寛治年中源朝臣義家陸奥国清原武衡家衡征伐の時、旧跡霊地ということで、明沢嶽金峰山に祈誓を掛け、手柄を立てた後、神祠を建て興し、寛治3年己巳9月18日祭事を斎行したという 当社前沙門坊主天密法印全化は開基の社僧であって三十三坊の一人である。 源義家から、凶賊降伏・四時順収・邦内豊饒の祈祷を命ぜられたという。 尚土井家小野寺家の崇敬の神社であった。 |
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