世々多武神社と称してきたが、明治3年庚午4月中神社取調の節字沢口なるを以て澤口神社と改称する。
弘化3年丙午社宇焼失の砌り神器も焼滅す。
降って明治元年戊辰8月9日戦争の砌り、別当光明院兵火の為焼失し古来の神器焼亡したが、遠近衆庶挙って崇敬、益々弥栄え霊験灼かなること世人の知る所である。