前へ | 神明社 しんめいしゃ |
当神社は、明治43年2月、社殿が全焼し建立当時の詳しい年代は不詳であるが、合祀する天宇受売命の由緒書によると、貞観年中、下野国小野寺遠江守が、代々奉斎する、慈覚大師作長さ7寸、赤銅の馬頭観世音立像を、康応年中、雄勝郡稲庭城が守護職として移封の際、次男小野寺孫五郎康通に立像を託し、宝徳元年平鹿郡大森城の麓、袴形字観音森に安置し、氏神として崇拝した。
その後、この麓を流蛇する雄物川筋の度重なる川欠損、干旱により、田地開発が遅れ、寛文4年、当村地頭佐竹山城守が、堰筋成就と田地開発の祈願をするにあたり、伊勢参宮をし、御神木を拝授、天照皇大御神を祀る。 延宝4年、堰筋全く成就し、右堰を五ケ村堰と号するに至る。 よって、山城より謝礼として高10石永久寄付される、その後、御維新となり、別当山本民治、無量寺所務のところ、仏号の本像勤行不相成に付、袴形神社祭神天宇受売命と改崇し袴形字砂間内に遷宮、明治43年7月20日をもって、村社神明社として合祀する。 その他、大日霊命の白山神社、蛭見命の西宮神社、猿田彦命の猿田彦神社を、明治43年7月21日付で合併し今日に至る。 |
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