前へ | 大物忌神社 おおものいみじんじゃ |
創立は建長6年7月8日、鳥海山に鎮座せる神霊を遷し、旧矢島領一般の鎮守と崇め、国家安穏、五穀豊穣を祈念した。
尚古老の語る所により、大物忌神社は矢島領一般の鎮守として、又里宮として、女人禁制の中で、女でも参拝の叶えられる所として女人堂とも言われた。 さらに生駒公の崇敬も篤く、社殿の新築、修築等は藩に於て施行、年々祭祀料として米20俵を給さる。 開山より当山派修験十八院の修行地として薬師如来を本地として祀り新山堂、本山堂、火宿堂が建立されて逆峰方の本拠となっていた。 毎年旧暦5月2日笈渡祭あり、9月8日から10月7日まで十八院年次順番の加持祈祷があり、無位に院号、坊号等の位階を授く。 又9日より28日まで各町村順次新穀の餅を供え参詣す。 明治2年11月衆徒の復飾により祭式も改められ春は7月8日虫除祭を施行、秋は10月19日より7日間神職一同山籠りし各村々順次参拝、諸願成就を祈念する例が続いている。 現在の社殿は明治18年に新築されたもの。 尚当神社は稲倉魂命を祭神としているが明治42年以降にごり川神明社十社が合併合祀されている。 社殿は、昭和50年9月11日に市有形文化財としてそれぞれ指定されている。 境内地は、鳥海山信仰における矢島修験衆徒の遥拝所並びに行場として重要であることが認められ平成21年7月23日に国史跡として指定されている。 |
トップページへ |