前へ | 白鳥神社 しらとりじんじゃ 通称:御不動様 |
4月15日
由理領主仲八郎政春が、正和元年鳴瀬台から根代館に移住のとき捧持した乗馬姿の日本武尊の木像を城地に祀ったのが、神社の草創だと、古記に見られる。
正中元年3月24日、政春が鳥海弥三郎の急襲にあい、落城ののちは奉行免地区の崇敬神となった。 境内に一筋の滝あり、「不動滝」という。 この滝は、滝沢の語源だと「滝沢伝来記」に見られる。 別当田村家(現48代目)で代々ここに「不動明王」を祀っていたが、明治初年の「神仏分離令」により、境内に仏体を祀ることを禁じられたので、今は自宅の信仰仏になっている。 その後延宝2年から、旧藩主六郷家の崇敬社となった。 明治43年12月13日白鳥神社は、この神社の西方に鎮座してあった村社神明社、無格社土倉神社(土倉)、豊受神社(蟹沢)を合社して村社となった。 それが、昭和5年1月4日夜の火災により、御神体の日本武尊の尊像や、勝軍地蔵、加護八幡の社宝、六郷家のかずかずの奉納品を一物も残さず焼失してしまった。 そこで、ただちに再建の策を講じ、氏子や一般崇敬者の寄付をもとめ、同年12月社殿を新築して今日に至っている。 |
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