前へ | 日枝神社 ひえじんじゃ |
応永8年春、良成親王殿下一時御旅宮とされ給いしより、御所野沢と称へ、後また更に他へ御旅宮を遷した跡の霊域に、日枝神社々殿を建立して神野と称える。
応永8年春親王いでませし当時は、楠正家、由理、河辺二郡を領し従四位副将軍河内守兼出羽守として、黒瀬、平岡、岩倉の三城郭を維持し平岡館に住し、同親王宮を迎え、一時御所野沢を御旅宮と定める。 供奉せる面々は池田七郎正依・橋本大和守正方・恩地左衛門之綱・羽川修理大夫義政・名和修理亮方等であった。 世降りて応仁年中の地頭打越左近信仰したとの言い伝えがある。 元禄10年領主岩城候大事の願望を遂げ、その際神徳霊験著しきを畏み祈願社とする。 当時の別当大夫悪魔祓の獅子を廻し祭事執行す。 |
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