寛弘2年9月火災にあい、住人の田那部七郎光定が再建したが、又、寛永元年に野火のため全村類焼したため、明暦2年現在の場所に再建された。
その後、天保4年に又々火災に遭い、同8年再建された。
明治42年に村社となる。