前へ | 神明社 しんめいしゃ |
創立寛文13年 旧社格郷社。
古老の口伝によると、永正年中、雨降り続き田畑を損う事しばしばであって、住民の憂い多く、因て当町の南方松沢という地に社宇を建立し、神明を勧請し奉斎したところ、その患いも少なくなり、人々挙げて神徳を仰ぎ恭敬していたが、星霜移り社殿も大破するに至った。 ここに寛文13年、旧藩主門家湯沢支配佐竹淡路義敞が、崇敬者を町役人と共に伊勢へ参らせ、3尺四面桧木造りの社殿伊勢両宮の円形に照準した、社殿をも降し、北方の一山を撰び市中を南面に再建遷座を行ったのは、当処鎮護の為である。 この時に内外両社となる。 同年8月伊勢御師三日市太夫次郎常陸鹿嶋へ下向した折に招聘し、9月15日夜遷座式を執行す。 延宝2年6月15、16日を以って五穀豊穣蝗除祭を執り行ってから、旧例により方今太陰暦6月15、16日恒例に基づき祭典を今に続けてきている。 従来祭典営繕費とも一郷より出費しており、故に湯沢鎮守産土の三社と称す。 寛永5年5月26日佐竹義敞社参あって米5石を社領に付す。 正徳4年42ヶ年にして正遷宮執行以降21ヶ年には必ずこの式を執行す。 明治6年9月当社を以て旧七大区、小区郷社に列せられ、氏子衆庶篤く崇敬奉り、祭りは頗る賑わいをみせている。 |
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