前へ | 東鳥海神社 ひがしちょうかいじんじゃ 通称:相川の権現様 |
延暦20年坂上田村麻呂、勅令により奥州に下り、朝敵降伏を祈願して、一社を建立したのが創立の始まりとされている。
康平年間の兵乱で所納縁記類皆兵火に罹り焼失したが、その後天正年間平鹿郡朝倉城主小野寺遠江守、社殿を修復し今に至る。 慶長年間佐竹氏遷封により雄勝平鹿両郡を当社の氏子と定められた。 明治3年廃藩の時その定めは改められた。 又延享元年北城文正の撰文筆の略縁記が保存されている。 明治42年神饌幣帛料供進神社に指定されている。 |
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