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七座神社

神社名(漢字) 七座神社
神社名(かな) ななくらじんじゃ通称:七座山天神宮
鎮座地 〒018-3102 能代市二ツ井町小繋字天神道上67
宮司 嶺脇 勉
連絡先 Tel : 0186-62-1357
御祭神 國常立尊(くにのとこたちのみこと) 國狭槌尊(くにのさつちのみこと) 豊斟渟尊(とよくむぬのみこと) 伊奘諾尊(いざなぎのみこと) 伊奘冉尊(いざなみのみこと) 菅原道眞尊(すがわらみちざねのみこと)
例祭 5月8日
境内神社
特殊神事
由緒

今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。