前へ | 勝手神社 かってじんじゃ |
古伝承によれば、大和国吉野八座の一座勝手明神を中世に、今の地より更に山深き森沢、金根宮に勧請したといわれるが創立年月日は詳かでない。
後、寛文6丙午年7月渡辺主殿助綱、田野半左衛門、当村、弥左衛門等と共に議りて、現在の地に遷した。 この時秋田藩戸村十太夫、騎馬の武神像十四体を寄進している。 明治5年中村社に列せられ、明治8乙亥年1月社殿改築、明治12年11月字館越神明社、字稲荷、稲荷神社を合併、昭和43年9月8日すべての萱葺屋根を銅板葺に葺き替える。 又、菅江真澄遊覧記の「勝手の雄弓」は、文化8年8月、当神社参拝の折の記述である。 昭和初期の民政党総裁、農林大臣、町田忠治が特に信仰した神社でもある。 |
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