前へ | 蛭子神社 えびすじんじゃ |
享保年間、中御門天皇の御代8代将軍徳川吉宗の時代に、当地一帯が日本海からの強風による大砂塵に襲われて農作物の全部が砂塵に埋もれ収穫皆無の悲惨な状態が続いた。
当時藩政の命を受けた当地の中川六右衛門翁が、荒廃する農地を保護する為に、大砂塵で出来た南北2,000間に及ぶ砂山に私財の全てを投じて黒松を植林し貧窮する農民を救済した。 砂山も今は緑の松林として日本海の風光を明媚にしている。 当時、西宮神社に鎮座していた蛭子神の神像札が当地に頒布されたため、崇敬者となった地域民は、この森を蛭子森と命名し、弘化4年9月15日頂上に社号標を奉納し蛭子神を尊み祀りながら中川六右衛門翁をも尊み祀ったのである。 崇敬者の多くは、蛭子大神を主神に、中川六右衛門翁も神として奉斎するための神社建立を望まれたことから、昭和57年に当地の中川鉄之助氏が開願主となり、本神社を建立し蛭子神社として蛭子大神を主神に中川六右衛門翁も神として奉斎している神社である。 |
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