前へ | 栗田神社 くりたじんじゃ |
その昔、新屋村は、日本海に面した広々とした砂原で草木が生育せず、暴風がおこると、飛砂がしばしば人家を埋没し、その被害はひどく実に村が亡びてしまう程の危機に直面しなければならなかった。
文化年間、栗田定之亟如茂大人は、藩命を受け防砂事業にとりくみ、村民の罵詈雑言(ばりぞうごん)を背後に受けながらも、一身を捧げてこれに従事し、辛酸を嘗めること数年。 この栗田大人の熱意は遂に村民を感動に導き、やがて全村あげて栗田大人に協力することとなり、遂にその成功を見るにいたったのである。 村民の喜びもさることながら、栗田大人の公益の精神は、村民に烙きついて離れなかった。 文政10年10月28日、病を得て遂に歿するや、その事業に献身的協力した佐藤東四郎、大門武兵衛の2人により翌11年新川通に小祠を建て栗田大人として祀られた。 ついで安政4年、藩へ請願して、特に一社を建て栗田大明神と称することを許され年々8月1日を以って祭祀を行うこととなり現在に至っている。 大正元年8月13日に雄物川改修工事に伴い現在の地に遷座した。 現在の社殿は昭和10年11月2日竣功したものである。 |
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