前へ | 三皇熊野神社 さんこうくまのじんじゃ 通称:竹原さん・三皇さん |
<本宮>創立年月日不詳なれど再建は桓武天皇の延暦年間征夷大将軍坂上田村麻呂が竹原三皇の神に祈誓して高清水丘に向って矢を放ったと言われており、賊を討った報賽として社殿を再建したという。
境内には田村将軍の杖に根がついたという大木があり、戦前まで、地上8尺位の所から、こんこんと水が流れ、霊水の大木と言われた。 明治7年村社に、明治4年1月10日神饌幣帛料供進神社に指定され、明治33年に本殿と拝殿が改築された。 明治43年5月20日大野中道上段無格社八幡神社、明治44年7月5日、字古川端無格社神明社、同年村社熊野神社を合祀し、三皇熊野神社と名称が変り、その後幣殿は昭和48年増改築した。 現在の社殿は平成16年に客殿と共に全面改築したものである。 尚、境内には、ぶな、けやき、いちょう等の大樹に、元治元年の三皇大神の碑をはじめ、保食神、安藤和風の句碑などあり、遠近の人々から三皇さん、竹原さんのもりとして親しまれている。 <里宮>旧熊野神社で創立不詳なるも慶長5年再建されたという。 三皇神社と共に昔から崇敬を集めて来た。 明治44年三皇神社に合祀された。 現在の里宮は、昭和55年、三皇神社と熊野神社が合祀して70年、昭和5年に牛島の大火により旧社殿が類焼し、仮社殿再建して50年を記念し、諸祈願祈祷所、氏子崇敬者の多目的参集所を目的として、広く浄財を募り、鉄骨、木造併用の建物である。 |
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