当村の記録によれば正徳3年以前に、既に鎮座していたことが知られる。
菅江真澄遊覧記文化8年8月の「勝手の雄弓」に、『くくりひめの社』、『内外の社』を参詣したとあるのは、当社及び境内神明社のことである。
安政7年改築、明治6年5月村社に列せられた。