前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ 通称:国見八幡宮 |
当社由来は開拓の歴史を抜きに語れない。
それは開墾のための水をもとめての血と汗の結晶である。 亦、開発の苦楽をめぐる隣接米沢地区との縁は特に深く、現在も両社互いに例祭への礼は欠かしたことがない程である。 延宝5年、玉川を水源とする上・下両堰が斉内川までの完成をみた。 さらに斉内川から窪関川への堀削で上堰は延宝6年完成。 だが下堰は堀削されず、折角開発された田地が荒廃する有様で、願い出て下堰も漸く貞享元年に通水した。 以後、開発も順風、耕地面積190町歩余、戸数147を数える(正徳5年)に及び、その成就に感謝、更に五穀豊穣祈願の誠をつくすとして、打ち直し検地を翌年に控えた正徳4年4月14日、下堰の西を流れる横堰添いの清泉夏瀬近くを卜(うらない)し八幡大神を勧請、併せて息長帯比売命を祀ったのである。 以来、この地国見の総鎮守として、上・下両堰の守護神として尊崇を集め、明治6年村社に列せられ、さらに昭和2年、幣帛供進社に指定されている。 奉納絵馬の中、天明4年8月15日の銘がある「連句額」は、当代文化の稀小資料であり、大仙市文化財に指定されている。 亦、県指定文化財の「国見ささら」も例祭に際し奉納される。 |
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