前へ | 三嶽神社 みたけじんじゃ |
郷土誌記載によれば神社別当の小山家元祖が慶長2年5月当地に土着の際、塩冶彦命を祀り三嶽堂としたことに始まるとされる。
三嶽堂は現在地の西方大野中の地に鎮座せるも天保10年代に、人家の上段となる現在地に遷宮される。 御神体とされる着色木像立像に同年代記号が見られる。 明治6年改格更正により三嶽神社と改る。 同41年5月9日字中西・雷神社、字中荒井・金井神社、字相中野・稲荷神社を合祀す。 現在の社殿は、本殿は以前からの建物を鞘堂でおおい、拝殿と廊下は明治20年9月再建された。 棟梁はドンパン節の作詞者である高橋市蔵(別称円満造)である。 |
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