前へ | 宮内神社 みやうちじんじゃ |
元正天皇養老2年正月18日、宮内邑に千手観音堂を建立し、近郷より崇敬せられ、仁明天皇承和5年7月17日三十三観音の石像を建立、以後遠近より崇敬者多く、これにより大納言家房公下国の時山号を給う。
その後本堂公土佐守殿より社領として300刈(田9反歩)寄進せらる。 慶長5年4月17日境内に菅原神社を建立。 明治29年8月31日大震にあい、社殿全壊す。 明治30年5月5日再建築聴許せられ同年9月15日竣工。 明治30年11月1日同村平内清水の神明社合併許可さる。 明治32年3月16日天神社を宮内神社と改称、許可さる。 明治43年7月14日野沢稲荷神社、高野今木神社を合併す。 寛政7年当時肝入惣兵衛(現戸主本多忠男氏)参道に植した銀杏2本は目通9尺ぐらいで現存す。(以上神社古文書写) 平成元年4月1日参道の銀杏2本旧太田町(現市)天然記念物に指定される。 |
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