前へ | 浮嶋神社 うきしまじんじゃ |
不詳なるも口伝承によれば、垂川(土買川)に架かる垂跡橋(旧水尺橋)東南方の中島(通称出根島)の小丘に、養老年間村の鎮守神として創立される。
垂川の洪水時は浮き上りただよい減水と共に元の位置に復する故「浮嶋神社」の名称をつけたと言う。 付近一帯現在も浮島の地名残存する。 且つ神社のかたわらに「竜神」を祀る小社があり、浮嶋神の使い神であるが、気性激しく洪水時は荒神となり、垂跡橋の流失や通行する人馬の死傷が絶えなかったので、「人身御供」等行われたが、天正10年これに替るものとして大綱引が行われ神事として現在も続いている。(国の民俗無形文化財指定) 享保8年佐竹藩の許可を受け現在地に移転、神社を建立祭祀される。 のち境内を広げ神社形式の建物となる。 文政5年改築される。 次いで、明治5年神仏分離により12社を合併。 同2月1日付で村社となり、明治39年9月17日2反9畝10歩境内地編入が認められ同40年2月10日神饌幣帛料供進指定神社となり、同9月1日神明社合併。 昭和38年〜39年にかけて全面改築をなし現在に至っている。 |
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