前へ | 白山神社 はくさんじんじゃ |
社伝によれば、養老元年大和国より藤原定朝という士が加賀国(石川県)の白山の分社を小杉山の右岸の一峰を選定し、別山剣峰と称し、この地に一社を創立したとある。
このように小杉山全域の総鎮守社の白山神社の由緒は古く、昭和2年に神明社、神子石神社、山神社、愛宕神社、塞神社、三吉神社、金刀比羅神社、稲荷神社を合祀している。 また当白山神社は六郡祭事記に『神職熊谷氏、六供といえ古より農家六戸が神輿にお供して宮巡りの行事があった。又この里では殺生を禁ずる』とあるが、今はそれらの習俗も消えてない。 更に秋田沿革史には、この白山神社は小杉山村祠官熊谷越後正(熊谷家21代。現宮司の祖)白山大明神、御供田高7升3合とあり佐竹藩の信仰を受けたことが見られる。 又旧境内にある神子石神社は、もと伊邪那美神社といって女人の参詣を禁じていたが、お祭り後に巫女が舞殿で舞った後私も巫女なのでお供すると言って他の神官と社に向かったが姿が見えず、尋ね捜したがとうとう見つからなかった。 しかし普段なかった石がひとつだけあり、これは巫女が石になったのだというので神子石と名付けて祀ったという言い伝えが今も残り、石も現在残っている。 |
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