前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
或る説に大宝元年創建という。
大同2年田村麻呂将軍が秋田男鹿寒風山に住む大猛丸退治に下向の折、神宮寺にて兵を募り、首尾退治の時は社殿新築する旨祈請し、帰陣の際当村へ家徒の中普請係を残し、字隠里という所に神社建立して、永久社守として6人を付置き、現在も続いている。 寛治3年八幡太郎義家公奥羽征伐の折、当社信奉し軍功あり、帰陣の際多数奉納するも現存は、「八幡大菩薩(一流)」「七僧一二天の仏画(唐の顔躯筆)のみである。 後社伝によればに、源頼朝再件、戸沢上総之助再建とある。 佐竹公水戸より遷封されてより累代の崇敬社となり、社領30石賜わり江戸往復時に必ず参拝する。 現在の本殿は宝永3年義格公再建であり、安永年間の大洪水にて川欠多くの家流失し、危険となり現在地に遷座する。 幣殿拝殿は明治12年建立す。 明治4年郷社に列し、同14年10月県社に列する。 同39年神饌幣帛料供進神社に指定される。 大正3年愛宕神社合祀する。 平成元年3月に、社殿改修奉賛会設立され、神社大改修工事施行し、11月完成を見る。 |
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