前へ | 磯前神社 いそさきじんじゃ |
中世は戦国の末、秋田実季の時期に成立した「秋田家文書」に金山村が記されている。
この頃、羽山神社(のち金山神社)が鎮座していた。 字地に金屑畑・佐渡屋布が妹川堤付近に近世まで存したことから鉱山があったらしく、人々の往来の賑わいや物資流が盛行。 この金山(鉱山)については氏子の伝誦でも明白である。 こういう山間小村の営みの中で、寛政3年秋の頃、近郷に悪疫の流行があった。 古戸与左衛門は病魔退治を発願(ほつがん)して堂社を改築、日夜住民と共に祈って平癒を蒙り、村里の繁栄をみたのである 明治40年、妹川神明社(飯田川)に合祀された。 昭和21年春に参拝に不便をきたすとして分祀、村落を俯瞰する山上の現在地に遷座した。 古くは村落の上はずれより更に100mほど東側へ沢を辿った南側山裾に境内地があった。 |
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