前へ | 鹿嶋神社 かしまじんじゃ |
元椿川字小田清水に鎮座されていた。
明治6年8月、村社鹿嶋神社として、椿川・鹿野戸・安養寺で祭事を執行していたが、昭和10年頃より鹿野戸のみで祭事を行い神社修復を行っている。 熊井家古文書には、『椿川鹿嶋大神北向社殿六尺四面、社地四間−十一間、開基勧請年代不詳』となっているが、同神社帳によると、当社の草創は、『寛文十一年五月末、畑谷村と椿川との間に境界論争があり、その砌公事の神を勧請致し、社地には松雑木有之候。延享より寛政年中には乞食多く社殿破れ荒れ候故、寛政十二年三月十三日を祭日に定め、八幡宮の社内に本社を奉遷、神社帳に印し置き、来世も大切に別当郷人可相守心得候』とある。即ち境内地論争のために勧請された神社である。 本尊の石像は、鹿の戸九蔵願主の奉納で、信光法印別当の代である。 明治41年4月7日字袖の沢無格社熊野神社を合併す。 明治37年9月21日2反9畝境内編入許可。 |
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