その後佐竹藩の時代となり、社領米等度々寄付せられた。
境内には、樹齢千年以上の槻木あり、豊姫浦に出入の船をつないだとの言い伝えがある。
而して秋田氏時代、同家中、今の浅野家祖先たる館城主浅野氏部正修験となり当神社の別当職に任ぜられ、連綿として現在に至っている。
尚新山神社の設立は、平成3年4月1日である。