前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
不詳。
八幡神社の西山に田中館という砦があり、その当主は清原氏の一族、清原清斉という人であった。 八幡太郎義家が奥羽討伐の際、この地に来た時、清斉は戦を好まず、当八幡神社境内の地で和を結んだ。 その地が現在の八幡神社であり、義家が馬を繋いだといわれる桜は、今は根かぶが僅かに残っているだけである。 清斉が和を結んでより、凡そ900年近く、永保年代白河天皇時代と推定される。 現在植えられている桜はその当時を偲び、名残りをとどめている。 |
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