前へ | 三吉神社 みよしじんじゃ |
八割の西村の太平山三吉神社である三吉神社は、慶応年間の神社統一の際各家の家神を統合して建立したもので、比較的新しく、今でも各家形式的な家神が残っている。
現在の位置にある、三吉神社と言うのは、明治40年頃、国から村社を作るように言われ、大正2年着工大正3年9月9日に完成し、村社大平山三吉神社となった。 それ以前は八割から2キロ程離れた山頂にあった。 現在も小さな祠がある。 起源は定かではないが、山岳信仰の場であったと思われるこの山頂にあった神社が、明治6年3月19日に正式に村社大平山三吉神社となったのである。 しかしあまりに遠い所にあり、また山頂にあったため、雨風にさらされ、傷みがはげしいということなどの理由で、村社を作るようにいわれた際、新しく社殿を建て、神様を遷そうということになった。 実際には御神体と言うものがなく、鏡を移したのである。 鏡についての謂れは不明である。 そして神様を遷してきた際神社統合も為されたのである。 つまり三吉神社がその当時八割地区にあった個人信仰の12社を合祀する形になったのである。 その12社とは、観音様、お薬師様、山の神様、皇太神社、新山大権現、稲荷様、雷神社、水神、弁財天様、金比羅様、琴平神社、中山神社。 |
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