前へ | 八坂神社 やさかじんじゃ 通称:お天王様 |
祇園牛頭天王縁記によれば、出羽国北浦に牛頭天王の祠があり、健速須佐男命を祀り、その功験著しく深い信仰を集めていた。
人皇50代桓武天皇の延暦20年、坂上田村麻呂が東国平定のため出羽国に至り、北浦の大石丸という悪賊を討伐しようとしたが、時たま大雪のため難渋していた折、住人中山太郎が援軍を送り先導をつとめ無事北浦に到着、虻川の地に城を構え大石丸と対峙したが攻略に手を焼き、中山の地に7間四方の社殿を建立し東国征討に旅立つ際、勧請して来ていた健速須佐男命の神霊を奉祀し戦勝祈願をしたところ、間もなく大石丸も軍門に降った。 以後中山太郎がこの社殿を奉斎し、年代はさだかではないが現在地に遷された。 明治6年郷社、同12年村社、同10年神饌幣帛料供進社に指定され、同43年無格社9社を合併した。 |
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