前へ | 稲荷神社 いなりじんじゃ 通称:三助稲荷神社 |
古伝承によれば今から520余年前の永禄年間、越後の国高田の落人、高田甚右衛門が、三助稲荷のご神体を持ち袴形に住み、石造りの神社を現在地に建立して祀った。
その後角館より来て袴形の田口家にわらじを脱いだ渡辺善五郎が依頼をうけ別当をつとめていたが、元和元年の大坂城落城の落武者高安左衛門則義が久保田(秋田市)を経て高田甚右衛門の子孫田口甚三郎方に落ちついた。 則義の二男・喜兵衛は敬神の念篤く、三助さんを大切にしたので、善五郎、田口家では喜兵衛に三助神社の別当を依頼した。 喜兵衛は石の社殿を木造の本殿に改築、京にのぼり伏見稲荷の分霊を遷し祀り、正一位白髪稲荷大神とし子孫が守護してきた。 明治の始め鶴太郎の代に村人とはかり社殿を修理、その子貞吉が拝殿を建立し現在にいたる。 |
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