前へ | 神明社 しんめいしゃ |
出羽国平鹿上吉田郷中、中沢家所有の縁記録によれば、天授年代以前往古より当地に鎮座している古寺であったのを、中沢家の祖先が、これを氏神として天照皇大神を勧請し、社堂を応永2年乙亥7月16日に改築建立した。
寛延2年己巳10月に氏神社の本殿を再建し、宝暦6年丙子11月11日御遷宮を執行した。 その後霊験灼かにして村中あげて崇敬し日夜参詣人があったと伝えられている。 中沢家祖先の霊夢にて明治2年己巳3月16日当主よりの申し出により、郷中一同と相議り、郷中保全を祈念するものとしてこの年から始めて一郷一統の鎮守と定め勧請鎮斎して崇尊した。 明治6年2月県社寺局より神社改正調査として掛官巡検の際、当社の由緒書提出して著明なる神社として明治6年8月21日に初めて公認の格社となった。 明治43年8月13日付で県知事へ吉田村上吉田大字に鎮座する村社熊野神社に当神社の合併請願を提出したが、当社の由緒著明なる理由にて建立保存の依命で却下され現在に至っている。 |
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