前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
明徳4年頃安部持慶が由利の赤尾曽(旧岩城町大内町)地域の住民を苦しめていたので、鎌倉幕府は大井光政に持慶の追討を命じた。
大井氏は信州佐久郡大井の武士で、由利に下向する時守護神として八幡様をたずさえて来た。 これが当社の起源である。 最初中帳村に安置した(本宮)が、後に新沢に遷宮、文安5年松ヶ崎へ分霊する。 慶長年間に現在地に宮殿を造営し、天文年間藩主神殿神門等を建立、別当歓喜院を定め、社領20石祭祀料4石5斗、外に神輿1基、錦旗等の奉納あり。 亦藩主の紋章使用許可を得る等岩城家の崇敬すこぶる篤く、明治5年郷社に、同6年村社となり、同42年地区内の神明社、新沢神社を合祀し本殿拝殿を改築。 大正元年には幣殿増築、同4年に神饌幣帛料供進神社に指定される。 昭和28年には拝殿の屋根、前堂の屋根をトタン葺とす。 昭和39年には大鳥居をコンクリートに改装、同49年には宝物殿新築、同57年には山門の屋根を瓦葺に改める。 文化財、扁額四面、錦旗一旒、八幡宮の額(市文)、延享4年の奉納になる石燈籠一対(市文) |
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