前へ | 愛宕神社 あたごじんじゃ |
嵯峨天皇の弘仁2年、領国の統治、安定の為、院内法領館の山に奉鎮されたと言われ、今でもその跡に石の祠が建っている。
後、鎌倉時代の貞永元年、現在の地に遷座元年の御本殿修理の際「雄勝山本平賀数多上中下一切衆生」の寄進を受けた事の棟礼が往事を物語っている。 下って江戸時代に入って佐竹氏久保田に転封の後は、秋田十二社の内に指定され、藩主の参勤交代に当たっては藩主或は代人の参拝があったと言う。 江戸中期、当社の別当阿闍梨渕清は、参拝の人々が、中風を初め悪病に犯される事のないようにと熱願を捧げ、自ら生き埋めとなり竹の筒より読経を続けて即身成仏を遂げた。 以来中風の神様、ころり地蔵尊として氏子は勿論、広く雄平仙三郡の人々の信仰を集めている。 |
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